Deep ThinkからGemini 3.1 Proへ——Googleの「蒸留戦略」とAI業界ポジショニング

2026年2月12日、GoogleはGemini 3 Deep Thinkの大規模アップグレードを公開した。そのモデルは国際数学オリンピックで金メダル相当の成績を収め、10年来の数学的予想に反証を突きつけ、大学院レベルの物理・化学の問題を当然のように解いた 1

その1週間後の2月19日、Googleは今度は別の発表をした。Gemini 3.1 Proのリリースだ。声明にはこう書かれていた。

「先週、Deep Thinkがブレークスルーを実現したコア知性(core intelligence)——それが今日リリースするGemini 3.1 Proです」2

この1週間の間に何が起きていたのか。それがGoogleの戦略の核心を示している。

記事全体の俯瞰: Deep Think・蒸留・3層戦略・配布網


Gemini 3.1 Proとは何者か

初めての「.1」——戦略的シグナルの読み方

Geminiシリーズのバージョニングを振り返ると、2.5 Proという前例があったように、従来の中間更新は「.5」が使われてきた。2.0 → 2.5 → 3.0という流れだ。

今回は初めて「.1」が使われた 3。これは単なる数字の変化ではない。VentureBeatはこれを「定期的なフルバージョン更新から、より頻繁な段階的アップグレードへの戦略転換のシグナル」と分析している 4。大きな一発花火ではなく、着実な積み上げを見せる——ユーザーとメディアの注目を絶やさない動きでもある。

推論性能の飛躍

3.1 Proの性能向上は「マイナーアップデート」という言葉では収まらない。

新規論理パターンの解決能力を測るベンチマーク ARC-AGI-2 では、Gemini 3 Proの31.1%から 77.1% へ跳ね上がった 5。46ポイント超の上昇は、フロンティアモデル一世代での最大推論向上幅とされる。

学術的推論を問う Humanity’s Last Exam(ノーツール)では44.4%を記録。GPT-5.2の34.5%、Claude Opus 4.6の40.0%を上回り、現時点での最高値を示した 5

一方、コーディング特化ベンチマーク SWE-Bench Proでは、GPT-5.3-Codexに劣ることをGoogleは自認している——正直さはある。

3段階の「可変思考」が意味するもの

Gemini 3 Proが「Low」と「High」の2段階だったのに対し、3.1 Proは Medium を新設した 6

  • Low: 速度優先。チャットボットや高スループット処理向け
  • Medium(新): バランス型。大多数のタスクに適する
  • High: 完全推論モード。複数分に及ぶ思考時間を費やし、最大性能を発揮する

VentureBeatはHighモードを「Deep Thinkのミニ版」と評した 4。それは比喩ではなく、技術的な実態でもある。


「蒸留」——Deep Thinkの知性を量産モデルへ

Deep Thinkとは何か

Deep Thinkは商用チャットボットではなく、Googleが「知性の限界を突破する」ために設計したフロンティアモデルだ。その最新版(2026年2月12日更新)の成果を並べると圧倒される 1

  • ARC-AGI-2: 84.6%(ARC Prize財団が第三者検証)
  • IMO 2025: 金メダル相当
  • IPhO 2025理論部門: 87.7%(金メダル相当)
  • Codeforces Elo: 3455

アクセスは $249.99/月のGoogle AI Ultraサブスクリプション、またはAPI早期アクセスプログラムに限定されている。人類の最難問に挑むための専用ツールとして、意図的に「高コスト・高精度・限定アクセス」に設計されているのだ。

知識蒸留という古典的手法

「蒸留(Knowledge Distillation)」は機械学習の古典的な手法だ。Geoffrey Hintonらが2015年に体系化したこの概念は、大規模な 教師モデル の知識を、より小型の 生徒モデル へ転移させるものだ 7

ポイントは「正解の転移」にとどまらないことだ。生徒モデルは教師の出力確率分布、つまり「何と間違えやすいか」「どのくらい自信があるか」といったソフトな情報まで学習する。これにより、生徒は単なる模倣ではなく、教師の推論パターンそのものを内在化できる 8

Deep Think → 3.1 Proへの実際の流れ

Googleは公式には「distillation(蒸留)」という技術用語を使っていない。しかし彼らの言葉はその実態を示している:

「Today, we’re releasing the upgraded core intelligence that makes those breakthroughs possible」2

「そのブレークスルーを可能にしているコア知性そのものを届ける」——これは「Deep Thinkで開発した推論技術を、3.1 Proに転写した」ことを意味する。

VentureBeatは「Deep ThinkのRLベース訓練技術が3.1 Proの基盤モデルへtrickling downした」と分析した 4。GoogleのYouTube動画では、研究者が端的に語っている:「フロンティアモデルがなければ、高性能な小型モデルへの蒸留はできない」9

結果として、3.1 ProのHighモードはDeep Thinkの性能の91%(77.1/84.6)を、はるかに低コスト・広いアクセスで実現した——これが蒸留の力だ。

Googleの蒸留サイクル: Deep Think → Gemini 3.1 Pro → Flash


Googleのモデルファミリー設計——3層戦略

Flash / Pro / Deep Thinkという3層構造は偶然の産物ではない。それぞれが明確な役割を持ち、相互に依存しながら「知性の連鎖」を形成している:

モデル主な役割
フロンティアGemini Deep Think知性の限界突破・研究実証
ワークホースGemini Pro / 3.1 Pro開発者・エンタープライズ・一般ユーザー
エッジGemini Flash / Nano速度・コスト・デバイス内実行

この構造の真の意味は「蒸留サイクル」にある:

  1. Deep Thinkで突破する: 極限のタスク(IMO金・ARC-AGI-2 84.6%)を達成し、新しい推論手法・RLレシピを開発する
  2. Proへ蒸留する: 開発された手法をGemini Proに転移。3.1 ProはARC-AGI-2で77.1%——Deep Thinkには及ばないが、旧Proの2倍超を達成
  3. さらにFlashへ: 同様のサイクルがFlashへも波及する可能性をGoogle研究者は示唆している 9

Gemini 3 Proの31.1%が3.1 Proで77.1%に跳ね上がったのは、このサイクルが機能した証拠だ。そして今後リリースされる3.2 Pro、3.3 Proも——もしそのような更新が来るとすれば——このサイクルの継続として理解できる。


AI業界でのGoogleの戦略的ポジション

技術的な蒸留戦略は、業界全体のポジショニングとも連動している。

急拡大する市場シェア

Geminiのグローバル生成AIトラフィックシェアは、5.7%から 21.5% へと約4倍に拡大した(8ヶ月で) 10。ChatGPTは86.7%から64.5%へと減少傾向にあるが、依然として首位を維持している。

この急伸の主因は「技術の優位性」というより、配布力(Distribution) にある。

AppleとのAI提携——業界インフラへの昇格

2026年1月、AppleはGeminiを次世代Siri・Apple Foundation Modelsの基盤として採用することを発表した 11。Appleの声明はこうだ:

「慎重に評価した結果、Googleの技術がApple Foundation Modelsに最も有能な基盤を提供する」12

以前はOpenAIがApple Intelligenceの主要パートナーだった——それを置き換えた。この一言が持つ意味は大きい。Appleのアクティブデバイスは約22億台。その全てで、実質的にGeminiが動く可能性がある。

Googleの株価はAppleを超え、時価総額で世界2位に浮上した。

配布力という「見えない護城河」

GoogleのDistribution優位 vs OpenAI: すでにそこにいる vs ユーザーが来る必要がある

OpenAIはユーザーに「ChatGPTへ来てもらう」必要がある。しかしGoogleはGeminiを「オンにするだけ」だ 13

Search、Gmail、Chrome、Android、YouTube、NotebookLM——ユーザーがすでに毎日使う場所に、Geminiはすでに組み込まれている。フロンティアモデルで開発した知性を、蒸留によってコスト効率よく量産し、それを自社が持つ圧倒的な配布網に乗せる。この「3拍子」がGoogleの構造的優位を形成している。


まとめ——「知性の工業化」の時代へ

Gemini 3.1 Proの発表は、モデルアップグレードのニュースとして消費されやすい。しかしその本質は、Googleが設計した「知性の工業化プロセス」の公開デモだ。

Deep Thinkで限界を突破し、3.1 Proで大衆化し、Flashでエッジへ届ける——この流れは1回限りの出来事ではなく、繰り返されるサイクルとして設計されている。

「.1」という新しいバージョニングは、そのサイクルが加速していることを示す。技術力・価格競争力・配布網の三拍子が揃い、GoogleはAI業界の「インフラ」という地位を静かに、しかし確実に固めつつある。

次世代AIをめぐる問いは、もはや「どのモデルが一番賢いか」ではない。「どのインフラの上に乗るか」——そしてGeminiは今、その答えの筆頭候補になっている。


参考文献

Footnotes

  1. Gemini 3 Deep Think: Advancing science, research and engineering — Google公式ブログ、2026年2月12日 2

  2. Gemini 3.1 Pro: A smarter model for your most complex tasks — Google公式ブログ、2026年2月19日 2

  3. Google announces Gemini 3.1 Pro for ‘complex problem-solving’ — 9to5Google、2026年2月19日

  4. Gemini 3.1 Pro first impressions: a ‘Deep Think Mini’ with adjustable reasoning on demand — VentureBeat、2026年2月19日 2 3

  5. Gemini 3.1 Pro – Model Card — Google DeepMind、2026年2月 2

  6. Gemini thinking — Google AI for Developers(公式APIドキュメント)

  7. Knowledge distillation — Wikipedia(Hinton et al. 2015の背景含む)

  8. What is Knowledge Distillation? — IBM Think

  9. The AI Frontier: from Gemini 3 Deep Think distilling to Flash — YouTube(Google研究者インタビュー) 2

  10. Google is bursting out the gates in 2026 — LinkedIn(Saanya Ojha)、2026年

  11. Apple picks Google’s Gemini to run AI-powered Siri coming this year — CNBC、2026年1月12日

  12. Why Google wins big in Apple AI deal, while OpenAI loses — Fortune、2026年1月13日

  13. Google Is Winning the AI War — Gemini, Apple Deal & AI Search — FinScout AI、2026年